書きたいことを書きたいだけ

書きたいことを書きたいだけ書くブログ

ブログの記事が100本を超えた

2020年1月にブログを作り、記事が100本を超えた。

ブログを開設した当時、いわゆる企画書を作るような職場で働いていた。そこでは、来る日も来る日も、「書きたくないこと」を書いていた。

そもそも作成する文書の内容に興味が持てなかった。その上、すでにある程度レールが敷かれていて、自分のアイデアを入れる余地が少ない。文章力の低さと、要求されるクオリティの高さとのギャップから、修正されまくり。締め切りギリギリに何とか形だけ完成させても、達成感は得られなかった。

そんなふうに、毎日「書きたくないこと」を書く。すると、だんだん「書きたいことを自由に書きたい」という欲求が溜まってきた。テーマを自分で選びたい。人のチェックを気にしないで書きたい。

そんな欲求不満を解消するため、このブログを作った。書きたいことを書いて、そして、書きたくないことは書かないブログだ。作ってよかった。楽しいです。

近所にいたカモ

3年間で職場も生活環境も大きく変化したけど、ブログはコンスタントに、楽しんで続けられた。今後ものんびり書いていきたい。

 

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コントラストにクラクラする 安達正勝『物語 フランス革命』感想

フランス革命の手触り感」を得られる本。

革命の進展が分かりやすいだけでなく、当事者たちの人となりが分かるエピソードが豊富で、まさに物語として読める。ルイ16世ロベスピエールといった歴史上の人物だけでなく、錠前師ガマンなどあまり知られていない人の人生も生き生きと語られており、あたりまえだけど、本当にあったことなんだなと実感しながら読んだ。

***

フランス革命について、著者は次のように書く。

 この時期は、人々が一途いちずな理想に駆り立てられていたという意味では夢のような時代であったが、多くの血が流れたという意味では暗い時代でもあった。非常に残念なことだが、激動の時代に流血はつきもの、というのが歴史の常のようだ。

安達正勝著 『物語 フランス革命』 中央公論新社,2008,p.3

率直に言って「こりゃ ”非常に残念なこと” てレベルじゃねえぞ…」と思った。手元の世界史資料集に、フランス革命の風刺画がのっている。

ロベスピエールの政府”(作者不詳)
出典:『詳説世界史図録』 第3版,山川出版社,2020,p.167

タイトルは”ロベスピエールの政府”。作者不詳。ギロチンで切り落とされた、夥しい首。最期は処刑執行人サンソンまでもが、自らを自らで処刑している。

1973年3月、革命の過激化に伴い「革命裁判所」が設置される。これがヤバい。

 革命裁判所は「あらゆる反革命的企て、自由、平等、統一、共和国の不可分性、国家の内的および外的安全を脅かすあらゆる行為、王政を復活させようとするあらゆる陰謀」に関わる事件を管轄する特別法廷で、控訴・上告はいっさいなく、ここで下された判決は、即、確定の最終判決であった。

 革命防衛のために設置された革命裁判所が、本来の使命を逸脱し、政敵排除にも利用されるようになるのである。

同書 p.221

最初のうち、月間の処刑者数は数十人程度だったが、1974年春になると数百人規模に増加する。そして末期、1974年6月に裁判を簡素化する法律が制定されて以降、1か月半で約1,300人という凄まじい件数になる。

 ギロチンに対する人々の感覚が麻痺まひしていた。人々は「聖なるギロチン」と呼び、革命にとって障害になるとみなされた者たちをギロチンで処刑することが正義にかなう、と思っていた。「死への狂騒」とでも呼ぶべき、尋常ならざる感覚に取り憑かれていた。夢の中にいるような感じ、目を覚まして初めて自分たちがいかに異常な状態に陥っていたかを悟るといった感じであったろう。そのときには異常さに気づかない。

同書 p.258,259

***

動揺させられるのが、こんなおぞましい処刑の嵐が、全人類の「自由と平等」という崇高な理想のために行われていることだ。その強烈なコントラストに眩暈がする。

理想が崇高で、完全無欠であればあるほど、現実とのギャップが露わになる。そして、理想が完全なのだから、その実現のためにはどんな犠牲も許される、という論理なのだろう。

あと、たぶん処刑しすぎて、ここで辞めたらこれまでの犠牲が無駄になってしまうという、サンクコスト的な考えもあったんじゃないかな。人の死なんて、これ以上ないほどサンクしたコストだから、辞めるに辞められなくなったんだとも思う。

***

フランス革命が人類社会にもたらした、「自由と平等」「国民主権」といった価値観は、この上なく貴重なものだ。けど、これだけの死がその代償として相応しいのか、正直よく分からない。

大事にしよう。

 

*余談

依然読んだ、伊坂幸太郎の小説『火星に住むつもりかい?』を思い出した。感想書いています。

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総務省文書 『「政治的公平」に関する放送法の解釈について』を読んだ感想

最近この新書を読んでいた。NHKの経営に対し、政府の影響力が徐々に強まっている状況を、批判的に論じた本。

そんな折、例の文書についてのニュースを見た。文書が公開されているとのことで、気になって読んでみた感想です。

総務省のwebサイトからダウンロードできます

www.soumu.go.jp

生々しい

まず、生々しい文書だと思った。

各所で引用されてるけど、例えば次の記載。

(礒崎 総理)補佐官は本日はもともとご機嫌が悪かったのだが、いただいた縦書きの説明資料で「その後の番組」の議論が展開されており、疑心暗鬼になり、激高する結果になったものと考えている。

p.20 カッコ内はブログ筆者 追記

組織の上層部の文書ほど、直截な表現が残るものだ。この明け透けなさによるリアリティがすごい。

総務省の対応も生々しい。今回の案件は、磯崎 総理補佐官が総務省にアプローチをかけたわけだけど、総務省側にも「このまま進めたらヤバいんじゃない…?」という思いがあり、抵抗をみせる。そして、別ルートを使って官邸の動向を探ろうとする。

この時にレクをした、山田 総理秘書官の発言もすごい。

○)礒崎補佐官は官邸内で影響力はない(長谷川補佐官は影響力あるとの言)。総務省としてここまで丁寧にお付き合いする必要があるのか疑問(山田秘書官としては総務省から礒崎補佐官を止めて欲しかった?)。今回の話は変なヤクザに絡まれたって話ではないか。

p.38

今後、磯崎氏と山田氏は顔合せられないんじゃないか…

捏造?不正確?

「捏造」、「不正確」と言われていることについて意見を書く。

まず、これらの言葉で何を意味しているかについて。辞書的な意味は置いておくとして、ブログ筆者の感覚では「捏造」には意図的で悪だくみのイメージがあるのに対し、「不正確」にそのような雰囲気はない。社会的にもこのイメージだと思う。(違うでしょうか?)

その前提で、まず「捏造」ではないと思う。全78ページの文書は全体として整合性が取れており、その中に特定の意図をもたせた嘘の文書を入れ込むのは現実的でないと考える。

では「不正確」なのかどうか。これは分からない。というか、レクの録音が残っていないのなら、判断のしようがない。ただ、文書を読むと、どんな細かいことでもなるべく正確に記録しておこうという意図を強く感じる。だから「無いこと有ることにしてしまった」レベルの不正確さは、さすがにあり得ないのではないかと思う。

磯崎氏 態度の変化がこわい

磯崎氏は怖い。

始めはあくまで下手に出ているが、自分の思い通りにならないと、だんだん強硬な態度をとるようになっていく。

上記のレクの記録に「変なヤクザ」という表現が出てくるけど、言い得て妙だ思う。

webサイトの写真を見ても、なんか目が笑っていないような気がしてきた。

総務省の意図

何気に一番気になっているのが、総務省の意図。どうしてこの文書を公開したんだろう。すごい恨みを買いそう。強引なやり口に我慢できなかったのか、それとも何か計り知れない深謀遠慮があるのだろうか…

 

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【要約と感想】 宇野常寛『リトル・ピープルの時代』

タイトルと装丁が印象的で、いつか読みたいと思っていた。面白かったです。

内容紹介

内容を簡単にまとめると以下のとおり。

我々の生を決定する、「大きなもの」としてイメージされる存在がある。それは、かつては国民国家だった。ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』の言葉を借りれば「ビッグ・ブラザー」だ。「ビッグ・ブラザー」には疑似人格的なイメージが付随していた。

しかし状況は変わった。冷戦の終結グローバル化の進展により、国民国家という物語は人々の生を意味づけることができなくなった。「ビッグ・ブラザー」は壊死したのである。

代わりに「大きなもの」となったのが、国民国家の上位に位置する、地球規模の情報と資本のネットワークだ。これは「ビッグ・ブラザー」と異なり、非人格的なシステムである。

本書のタイトルにある「リトル・ピープル」とは、「ビッグ・ブラザー」亡き後の現在に生きる人々、および、そのような世界で自らの生を意味づけようとする人々の欲望を意味する。そして無数の「リトル・ピープル」の連鎖が、「大きなもの」=非人格的なシステムを形成している。

「リトル・ピープル」の連鎖による非人格的なシステム=新たな「大きなもの」は、ときに「悪」として作用する。これに対処するため、我々は「リトル・ピープル」の時代に適応した、新たな「大きなもの」への想像力を手にしなければならない。

村上春樹作品の”鑑賞の手引き”になる

本書ではこのような世界観の変遷を、ポップカルチャーへの影響を通して考察していく。ウルトラマンからAKB48まで、題材は多岐にわたるが、大きな分量を占めるのが村上春樹作品と平成版仮面ライダーだ。仮面ライダーの考察も面白いんだけど、残念ながらブログ筆者は未見のため、村上春樹について書きたい。

本書は村上春樹作品を読むためのよい”鑑賞の手引き”になると感じた。

村上春樹の作品は、大分前だがいくつか読んだことがある。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』のBOOK2まで、あと小説ではないが『アンダーグラウンド』も読んだ。(意外と読んでたな)

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

Amazon

で、大体以下のような印象を持っている。

リーダビリティ抜群、比喩が印象的な洒落た文体で、面白くてどんどん読み進む。と、唐突にセックスが始まり、また、生々しい暴力が描かれる。そして読み終わった後に振り返ると、各々のシーンは印象的なのに、全体としてはなんだかよく分からん話だったなぁ…と思う。

よく分からないと感じるのは、出来事の間の関連が不明だからだ。その一方で、一見無関係な出来事も、別の世界からみれば明確が必然性がある、そんな気配も確かに感じられる。

本書では、この半世紀に書かれてきた村上春樹の作品を、「ビッグ・ブラザー」が壊死し「リトル・ピープル」の時代が到来する期間における「正義/悪」の問題という視点から分析する。また、世界への<コミットメント>か、世界からの<デタッチメント>かという選択、更に<コミットメント>をする場合、不可避的に発生するコストの処理をどうするかという問題を、小説の展開に読み取る。

この分析には納得感が得られ、気配として感じていた「必然性」の正体が分かった気がした。深く読もうとすると途端に難解になる村上作品についての、優れた”鑑賞の手引き”になる本だと思う。

2023年に読むと

本書のパースペクティブをもって、2023年現在の出来事を色々考えてみたくなる。

例えば陰謀論Twitterを見ていると、怪しげな(時にバカバカしいとさえ思える)陰謀論が流れてこない日がない。これは「ビッグ・ブラザー」無き世界で、悪としての「ビッグ・ブラザー」を幻視している現象じゃないかな。

また、飛ぶ鳥を落とす勢いの中国。中国の「ビッグ・ブラザー」はまだまだ健在だろう。一方、彼の国で急速に発達するインターネットは、その解体を強く促進しているはずだ。そのせめぎ合いの激しさが気になる。中国では村上春樹の小説がとても読まれていると聞いたことがあるが、この状況と関係あるのかもと想像した。

本書の刊行は2011年。だから、村上春樹作品の分析も、当時の最新作『1Q84』BOOK3までになっている。著者の宇野氏は、この時点での村上春樹は、「リトル・ピープル」の時代における新たな想像力を獲得し損ねている、と評価している。その後『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『騎士団長殺し』が書かれており、これらの作品ではどうなっているのか、読んでみたくなった。

他にも、AIとかLGBTのムーブメント、考えてみると面白そう。

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【読書メモとちょっと感想】 鈴木規夫著『日本人にとってイスラームとは何か』

素人にはレベルが高すぎる本でした。なんとか理解できた、イスラームの特徴についてだけメモを残しておきます。

イスラームの特徴

イスラームはネットワークの原理である

イスラームの生まれた7世紀のアラビア半島は、世界的な交易の通路だった。ササン朝ペルシアとビザンティン帝国の戦争により、メソポタミアを通るルートが衰えていたためだ。

多様な人々の交易ネットワーク、そのような環境における統治原理や生き方の原理が求められていた。これに応えたのがイスラームだ。

イスラームは宗教であり、商業原理であり、多様な人々のコミュニケーション可能な空間における社会生活の原理であり、交易ルートの安全を担保する軍事組織の原理でもあるわけである。

鈴木規夫著 『日本人にとってイスラームとは何か』 筑摩書房,1998,p.28

イスラームは多様な人々のネットワークにおける原理なのである。

イスラーム世界は開かれている

イスラーム世界は対外的に開かれており、ネットワークを拡張していく特徴をもっている。

イスラームにおいて、自分や相手がどんな集団に帰属しているかという認識は、時と場合によって伸縮自在である。(宗教的なコミュニティにおいては複数の預言者とその集団を認めるミッラの概念、家族に関わるコミュニティにおいては「誰の子孫」の「誰」を自由に設定することによる)こうして、異質な社会集団や個人の差異を受容し、ネットワークを広げていくのだ。

様々な差異を受容し続けると、いずれ混沌に陥るのではないだろうか。そうはならない。現世の個物である自己や「族」などを超越したところに、イスラームタウヒード(「一つにすること」「一つと数えること」「一つに帰ること」)という原理を置くことにより、これを防いでいる。

イスラームは砂漠性と都市性を持っている

イスラームは砂漠性をもつ。しかし、この「砂漠」とは、空虚な世界を意味しない。対立物が対立のまま統一されている、想像と破壊が同時に起っている世界としての「砂漠」である。

またイスラームは都市性をもつ。なぜなら、ヒューマン・コミュニケーションのための倫理・信仰システムであるからだ。

そして、砂漠性と都市性は矛盾しない。想像と破壊が同時に起る「砂漠性」は、「都市」という舞台においても発揮される。過去1400年の歴史を見ると、イスラームはそれぞれの時代の中心的都市に影響を拡大しており、現在においても同様である。

 

***

 

上記の内容は本書のほんの一部です。

このほかに、西欧の東方世界の見方”オリエンタリズム” と、イスラミック・ファンダメンタリズムイスラム原理主義)との関係(後者が前者の反転であること)や、イスラミズムの勃興の原因の考察などが述べられていますが、ブログ筆者にはまとめる力がありません。難しい。

イードの『オリエンタリズム』は読んでみたくなりましたが、きっと難しいんだろうなあ。

最終章「イスラームと日本」については、ブクログの”おちょう”さんのまとめがとても参考になりました。

『日本人にとってイスラームとは何か (ちくま新書)』(鈴木規夫)の感想(3レビュー) - ブクログ

 

[感想]小杉泰著『イスラームとは何か:その宗教・社会・文化』

世界史を勉強しているなかで、イスラーム世界の国がなかなか覚えられない。アッバース朝くらいまではなんとかなるが、帝国が分裂した後はごちゃごちゃしてややこしい。

そこで、イスラームについて知識を深めれば印象に残って覚えられるのではないかと思い、本書を読んだ。

 

読んだ感想は、とてもおもしろかった。読者に予備知識がないことを前提に書かれているため、記述が丁寧で分かりやすい。

ムハンマドによるその創始から、コーラン(より原音に近くは”クルアーン”)、スンナ派シーア派パレスチナに典型される現在進行形の紛争など、イスラームの概要を過不足なく知ることができる。

世界史の勉強という観点から言えば、アッバース朝以降のイスラーム世界の歴史について、もっと詳しく知りたかったかな、とも思う。ただこれは無いものねだりで、全体としては大満足だった。

あと若干余談だけど、コーランの章のタイトルには印象的なものが多いことを知った。「開扉章」「凝血章」「悔悟章」「夜の旅章」などかっこいい。

 

本書の刊行は1994年だから、30年近くたっている。この間、アメリ同時多発テロアフガニスタン紛争、イラク戦争アラブの春、IS(イスラミック・ステイト)など、イスラーム世界に関する大事件が数多く起こっている。これらについて小杉先生が書かれたものも是非読みたい。

 

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「芸能人格付けチェック」 初回放送の内容 (1999年3月23日放送)

ja.wikipedia.org

「芸能人格付けチェック」を見ると、正月が来た気がする。

 

最近、子どもの頃に録画したVHSを整理していたところ、その初回放送が発掘されました。貴重な映像の気がするので、紹介する記事です。

※本記事中の画像は、当時録画したものから引用しています。

コーナータイトル

「芸能人格付けチェック」は、もともとは「人気者でいこう!」というバラエティ番組の一企画でした。初めは芸能人に常識があるかをチェックするコーナーでしたが、それを発展させ、一流のものを見分けることができるかチェックするというものに変わりました。

初回放送は1999年3月23日「人気者でいこう!春のスペシャル」です。タイトルは「春の芸能人大常識チェック ~お前らは本当に1流芸能人なのか~」。まだ「格付けチェック」という言葉は使われていません。

ルール説明

フォーマットは初回放送から現在まで、ほとんど変わっていません。すなわち、

①正解を2択から選び、A・Bの控室で待機

②間違えるとランクが下がる

③それに伴って扱いが変わっていく

という流れになります。ただ、司会は堀部圭亮さんで、浜ちゃんは回答者として参加しています。また、この頃は個人戦でした。

参加者の方々

参加者の方々はこの7人。若い。

チェック1 ワイン

記念すべき第1問目は、今でも定番のワイン。正解は”ラ・ターシュ'95” 10万円。近年の100万円と比べると、値段としては抑え目です。(10万でもすごいですが…)

チェック1 結果

結果、山咲千里さん、内藤剛志さん以外は2流であったことが判明します。

突っ込まれる石田君

以下次のとおり。

 チェック2:陶器 500年前の古備前 50万円 と その模造品 3万円

 チェック3:ヴァイオリン ジュゼッペロッカ 3,000万円 と 通販品 2万円

 チェック4:髪の毛 自毛 と かつら

 チェック5:精力剤 2万円 と 800円

チェック5まで終了

チェック5終了時点で、石田純一さんは3流であったことが分かります。

悲しげな石田君

最後のチェック6はふぐ。”とらふぐ” と ”こんにゃく” の食べ比べです。今で言うなら「絶対アカン」レベルの問題。もともと外れたら2ランクダウンとのことでしたが、浜ちゃんの提案で3ランクダウンとなりました。

緊張する浜ちゃん

試食の方法も現在と同じですが、例のおもしろアイマスクはまだ採用されていません。そして結果は…

くずおれる浜ちゃん&エンクミ

終結果はこうなりました。

終結

現在の最低ランクは”映す価値なし”ですが、この頃は”そっくりさん”が最低ランクです。

そっくりさんでした

お仲間が登場

チェック終了後、浜ちゃんとエンクミ(のそっくりさん)は、仲間と一緒に営業に出発。めでたしめでたし。

* * *

驚くのが、20年以上経つのに、基本的な流れはほぼ変わっていないことです。企画の完成度の高さが分かります。そして、やっぱり純粋に面白い。

また浜ちゃんもチェックされて欲しいなあ。

 

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