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つまらなくはないんだけど…「クレヨンしんちゃん電撃!ブタのヒヅメ大作戦」感想

 決してつまらなくはなく、むしろ面白くて好きなんだけど、どうしてもあと一歩と感じてしまう。

 クレヨンしんちゃんの映画の中では(戦国大合戦までしか観てないけど)、「暗黒タマタマ大追跡」が最高傑作だと思っている。ストーリーも、ギャグの切れも、登場キャラも、奇跡的な完成度だと思う。

 「ブタのヒヅメ」の雰囲気は前作「タマタマ」に似ていて、その完成度と面白さを期待しながら観てしまう。それで本作の完成度も高いんだけど、やっぱり完璧な「タマタマ」には及ばない。するとその及ばないところがやたらと気になってしまうのだ。

 具体的にはまずギャグの間がワンテンポ遅かったり早かったりしていると感じる。言語化しにくいんだけど、「タマタマ」でひまわりを助けるために野原一家が青森から東京に移動するシーンと、本作で筋肉がトイレに行くのをみさえとひろしが阻止するシーンを比べてみて欲しい。両方とも急に劇画調の絵になって勢いで笑わせるシーンなんだけど、「タマタマ」の方が圧倒的に勢いがあって笑える。対して本作では違和感のある間があって、勢いが殺されている。

 キャラも前作に及ばないと感じる。「タマタマ」のローズ、ラベンダー、レモンは強くて頭も良いおかまという面白いキャラで好きだった。本作のアンジェラ青梅は、ローズ達とほぼ同系統のビジュアルなのに、特徴がほとんど語られず、魅力を感じなかった。

 ストーリーや演出ももう一声欲しい。例えばSMLの組織について。世界の平和を守る秘密組織のわりには、出てくるのはお色気と筋肉の二人だけで、スケールが小さく感じる。エヴァヤシマ作戦みたいなスケールの大きさを見せて欲しかった。

 ただ、最初に書いたけど、決してつまらなくはないです。特によかったのはしんちゃんが作った「ぶりぶりざえもんのぼうけん」というお話。ナンセンスで笑えて、しんちゃんワールド全開なのに、最後は普通に感動させられてしまった。おいろけはしんちゃんキャラの中では一番セクシーだと思うし、アクションもカッコいい。

 そして、やはり、塩沢さんの声はいい。

夏目漱石『三四郎』感想 ほろ苦い読後感

三四郎と美禰子、どちらかがあと一歩相手の方に踏み込んでいたら二人は結ばれたような気がして、そこが切なかった。失恋の話だけど、三四郎はまだまだ未来が開けている若者だから、読後感は程よいほろ苦さだ。

 

美禰子はどうして三四郎を選ばなかったのかな。彼に好意を抱いていたようだし、逆に結婚した男を特に好きだったわけでもなさそうだ。古い因習からも自由な女性のように思えた。二人で駆け落ちしてどこまでも行く、という結末でもよかった気がするけど、何がそうさせなかったのだろう。。

 

これまで読んできた漱石の作品と比べると、ロマンチック度が群を抜いている。「迷える子ストレイシープ」のくだりはロマンチック過ぎて読んでいて少し照れてしまった。あと、三四郎は共感を覚えやすい主人公だと思った。漱石の作品の主人公は基本何かに悩んでいるけど、後期三部作とかだと悩みが底なし過ぎて簡単に共感できない。それと比べて、青春の恋に悩む三四郎には親近感を覚えた。

 

次は『それから』を読みます。

『レッド・ブロンクス』感想 ジャッキーの切れがよい

「ジャッキーが出てて、ホバークラフトのやつ」

面白い!

まず肝心のジャッキーのカンフーが良い。調べてみたら当時30代後半のようだけど、スピード感と切れがある。

敵役もやたらにキャラが立ってて印象に残る。アンジェロは本当に向こう見ずで頭が悪くて、仲間にも一目置かれる馬鹿さ加減が良い。ヒゲで長髪のチンピラの下っ端とか、スタローンの甥っ子みたいなボス、マフィアのやたらガタイのいい眼鏡も何か好きだ。

最後ホバークラフトの暴走シーンは少し唐突感を感じるけども、目新しくてインパクトがあった。ホバークラフトの特性を活かしたアクションシーンにはアイデアが光っている。

ヒロイン役の女の子もかわいいし、ほんのりコメディ要素があるので話が深刻になり過ぎないのも良い。

楽しい映画だ!

『スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望』感想 ゆるくて明るい雰囲気がよい

ネタばれあります!

 

始めにイマイチなところを書いてしまうと、まずデス・スター内部のシーンが少々退屈だった。外から見たインパクトは抜群なのに中はすごく普通。超巨大な人工天体っぽさをビジュアルで見せて、すげえ中こうなってんだ!と感動させて欲しかった。

あとチューバッカの鳴き声。どうも耳障りでうるさいと感じてしまう。

 

といったことがちょっとした不満点だけど、全体的には面白くて何度も観ている。ヘンテコなエイリアンとかメカとかがわらわら出てくる世界観が楽しい。人間もエイリアンもみんな英語を話してたり、宇宙空間でも爆発音がしまくったり、そんなゆるい雰囲気も好きだ。

 

ところで、よく分からなかったのがオビワン・ケノービの最後。ダース・ベイダーとの戦いの最中にローブを残して消え去ったけど、どうなったのだろうか。

(今wikiを見たら、自ら肉体を消滅させてフォースと一体となったらしい。そんなことができるとは知らなかったよ…)

 

伊坂幸太郎『火星に住むつもりかい?』感想 平和警察の恐ろしさに震える

ネタばれあります!

 

〇 平和警察のおぞましさ

犯罪を未然に防ぐという名目で作られた平和警察が怖すぎる。

無実の人たちを捕らえて拷問し、無理やりやっていない罪を自白させる。自白したら危険人物だからギロチンで公開処刑、自白しなければ死ぬまで拷問。

そんな平和警察には嗜虐心が強い”適性”のある警察官が配属されていて、嬉々として人々を痛めつける。人を死に追いやることにこれっぽっちも罪悪感を持っていない。

伏線がきれいに回収される物語の展開は見事だけど、爽快感を覚える余裕がなかった。ただただ恐ろしさに震えて読んだ。

 

〇 日本国憲法 第36条について

 本の感想から離れてしまうんだけど、書きたいから書く。

 我が国の憲法で唯一”絶対”という言葉が使われているのが第36条だ。

 第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

 戦前、思想犯を取り締まり拷問を行っていた特高警察に対する反省から設けられた条文だ。(本書でも特高警察の拷問で獄死した小林多喜二の話が出てくる)

 ところで、政権与党の自民党憲法の改正を目指しており、その草案を公開している。第36条の改正案は次のとおり。

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。

引用元:自民党憲法改正実現本部「日本国憲法改正草案」

https://constitution.jimin.jp/document/draft/

”絶対に”がしれっと削除されている。どのような意図で削除したのか理由は不明だが、草案を作成した人たちがその方がよいと思っていることだけは確かだ。

ブログ筆者は、公務員による拷問は例外なく絶対に禁止した方がよいと考えるから、この改正案については反対である。そして、なぜ削除したのか説明していないことに不信感を覚える。

 

平和警察がいたら、こんな現政権に反対する記事を公開した時点で危険人物にされるのだろう。怖すぎ。

『漱石文明論集』感想 「模倣と独立」について漱石の本音を考える

 夏目漱石の文明批評に関する発言を、講演録や書簡など小説以外から集めた本。固有名詞さえ変えれば、今朝の新聞の社説ですと言われても分からないくらい。先見の明に驚かされる。

 本書に「模倣と独立」と題する講演が収められている。大正2年に第一高等学校(東京大学教養学部の前身)で行われたもので、要旨は次のとおり。

 人間には他を模倣する性質と、他から独立する性質の両面がある。両方とも大事であるが、現在の日本の情勢を観ると独立の性質に重きを置くべきである。

この講演録を読んで気になった点について書く。

「独立」への擁護の激しさ

 講演では「独立」という性質の長短が述べられている。まず短所について、独立の性質のある人は、世の中の人と歩調を共にすることができないから厄介である、と指摘される。次に、そのような短所はあるけれども、独立の性質の人には「自己の標準」があるから、ゆるすべきものがある、貴ぶべきものがあると、独立の性質が擁護される。この「自己の標準」があるから擁護できるという話、少し長いが引用すると次のとおり。

 元来私はこういう考えをっています。泥棒をして懲役ちょうえきにされた者、人殺をして絞首台こうしゅだいのぞんだもの、―法律上罪になるというのは徳義上の罪であるからおおやけ所刑しょけいせらるるのであるけれども、その罪を犯した人間が、自分の心の経路けいろをありのままに現わすことが出来たならば、そうしてそのままを人にインプレッスする事が出来たならば、すべての罪悪というものはないと思う。総て成立しないと思う。それをしか思わせるに一番いものは、ありのままをありのままに書いた小説、良く出来た小説です。ありのままをありのままに書き得る人があれば、その人は如何なる意味から見ても悪いということをおこな ったにせよ、ありのままをありのままに隠しもせず漏らしもせず描き得たならば、その人は描いた功徳くどく に依ってまさ成仏じょうぶつ することが出来る。法律には触れます懲役にはなります。けれどもその人の罪は、その人の描いた物で十分清められるものだと思う。私は確かにそう信じている。けれどもこれは、世の中に法律とか何とかいうものは らない、懲役にすることも要らない、そういう意味ではありませんよ。それは く申しますると、如何にはた から見て気狂きちがい じみた不道徳な事を書いても、不道徳な風儀を犯しても、その経過を何にも隠さずにてら わずに腹の中をすっかりそのまま描き得たならば、その人はその罪が十分に消えるだけの立派な証明を書き得たものだと思っているから、さっきいったような、インデペンデントの主義標準を曲げないということはゆるすべきものがあるといったような意味において、立派に恕すべきであるという事が出来ると、私は考えるのであります。

三好行雄編『漱石文明論集』岩波書店,1986,p.165

 この発言、しっかりとは理解できていない。だけど、殺人にすらゆるされる面があるなんて、強烈で過激な考えであることは確かだと思う。自分なりには次のように理解した。罪悪には、外:社会から見た罪悪と、内:自己から見た罪悪がある。外から見た罪悪とは、うえの引用文で言うところの徳義上の罪だ。一方、内から見た罪悪とは、自身の信ずる規範から外れていることだ。「独立」の性質の人には、確固たる「自己の標準」がある。この自己の標準に沿っているという意味で、殺人といった外から見ると明らかな罪悪にすら、内から見た場合ゆるされる面がある、ということだと思う。

「模倣」への怒りの激しさ

 上記のように「独立」という性質への擁護が過激だと感じた。一方で「模倣」という性質について、漱石が強い憤りを覚えていることを示唆する文章を読んだことがあった。以前、ちくま文庫の『こころ』を読んだが、この文庫に漱石の息子である夏目伸六氏が書いた文章『父 夏目漱石』が入っている。

mura-sou.hatenablog.com

 次のようなエピソードが語られる。夏目伸六氏が小学校にあがらない小さいころ漱石と兄と3人で散歩をしていると、いつの間にか神社の境内に出た。そこに射的小屋があり、兄が撃ちたい撃ちたいと漱石にせがみ、伸六氏もおそらく同様にねだった。二人に引っ張られて漱石はむっつりと小屋の中に入った。いざ撃つ段になって、子供たちは尻込みをする。

「おい?」突然父の鋭い声が頭の上に響いた。
「純一、撃つなら早く撃たないか」
私は思わず兄の顔へ眼を移した。兄はその声に怖気づいたのか急に後込しりごみしながら、
はずかしいからいやだあ」
 と、父の背後にへばりつくように隠れてしまった。私は兄から父の顔へ眼を転じた。父の顔は幾分上気をおびて、妙にてらてらと赤かった。
「それじゃ伸六お前うて」
 そういわれた時、私も咄嗟とっさに気おくれがして、
はずかしい……僕も……」
私は思わず兄と同様、父の二重外套まわしの袖の下に隠れようとした。
「馬鹿っ」
 その瞬間、私は突然怖ろしい怒号を耳にした。が、はっとした時には、私はすでに父の一撃を割れるように頭にくらって、湿った地面の上に打倒れていた。その私を、父は下駄ばきのままで踏む、蹴る、頭といわず足といわず、手に持ったステッキを滅茶苦茶に振回して、私の全身へ打ちおろす。兄は驚愕きょうがくのあまり、どうしたらよいのか解らないといったように、ただわくわくしながら、夢中になってこの有様を見つめていた。

夏目伸六「父 夏目漱石」(夏目漱石『こころ』収録)筑摩書房,1985,pp.295-296

 なぜこんな酷い目にあったのか、夏目信六氏にはずっと理由が分からなかった。そして、理屈などなく、ただ漱石の持病のせいだと思うようになっていった。しかし長い時間がたったあと「模倣と独立」の中のある一文を読み、漱石の動機に思い当たる。

ところがつい先頃、私は何の気なしに父の全集を拾い読みしながら、ふと次の数句に気を惹かれた。それには、
「……私の小さな子供などは非常に人の真似をする。一歳違ひの男の兄弟があるが、兄貴が何か呉れと云へば弟も何か呉れと云ふ。兄が要らないと云へば弟も要らないと云ふ。兄が小便がしたいと云へば弟も小便をしたいと云ふ。総て兄の云ふ通りをする。丁度其後から一歩一歩ついて歩いて居る様である。恐るべく驚くべき彼は模倣者である。」

 私はこれを読んだ時、ちらっともう二十数年も前に起ったあの出来事を、どういうものか咄嗟とっさの間に思い起した。そして父のあの時の怖ろしい激昂の原因が、何かこの数語の中に含まれているような心地がした。恐らく父は生来の激しいオリジナルな性癖から、絶えず世間一般の余りに多い摸倣者達をー、平然と自己を偽り、他人を偽る偽善者ぎぜんしゃ達をー心の底から軽蔑けいべつもし憎悪ぞうおもしていたに違い。

前掲書 p.297

 だから兄の模倣ばかりしている弟に怒りを爆発させたのだ。もちろんこれは夏目伸六氏の推測であり、本当のところは漱石にしか分からない。だが十分説得力がある解釈だとブログ筆者は思う。

漱石の本音と建前

 この講演は「模倣」と「独立」両者の長短を挙げ、両者とも重要だが現状「独立」に重きを置くべきであるという、穏健な結論になっている。だけどそれは、第一高等学校の学生向けの講演であることを考慮に入れた、ある種の建前なんじゃないだろうか。上記の強烈な発言やエピソードを考えると、「模倣」より「独立」の方が比較にならぬほど重要である、というのが漱石の本音ではないか、と考えた。

 

ネタばれ「ラストマン・スタンディング」感想 銃撃戦の迫力がよい

ネタばれあります!

 

黒澤明「用心棒」の翻案。

禁酒法時代、テキサス州、メキシコ国境近くの寂れた町に、訳ありの男ジョン・スミス(ブルース・ウィリス)が流れ着く。町では2組のマフィアが抗争していた。ジョンは銃の腕を武器に、この抗争を利用して一儲けしようと企むが、、というお話。

 

面白い。緊迫感のある展開で飽きさせない。

なにより銃撃戦が見どころ。ブルース・ウィリスが単身敵のアジトに踏み込み、二丁拳銃でマフィアを皆殺しにする。二丁拳銃を凄い速さで連発し、発砲音は低く重く金属音っぽくドギュドギュしていて、スピード感と迫力が半端ない。撃たれた敵が5mくらい吹っ飛ぶのもケレン味があってかっこいい。

登場人物の性格に少し厚みがあるのも良かった。冷酷なマフィアのボスのドイルが、囲っているメキシコ人の女の子を心から愛していたり、向こう見ずな暴力野郎のイメージだったヒッキーが意外に頭が切れたり。

テレビ朝日放送版では、ブルース・ウィリスの吹き替えはお馴染み野沢那智さんだ。で、クライマックス、ブルースは大けがをしたまま銃撃戦にのぞむんだけど、「うえええ」「うわあああ」とめちゃくちゃ呻き声をあげながら戦うのには少し笑ってしまった。英語版だと無言だからアレンジなんだろう。

好きな映画でした。