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夏目漱石『吾輩は猫である』感想

 超有名だけど楽しむためのハードル高そうだなあ、という印象を持っていた。というのも「エリートの高級な皮肉の話」というイメージがあったから。
 実際に読了して、基本的にはイメージどおりだった。難しい言葉を使って、哲学とか漢文学とかから引用をたくさんして、シニカルな会話が続く。加えて当時の世相が分からないと理解できないところが多い。なかなか難しい。それでも楽しめたところも大分あった。

 

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 これまで『行人』『こころ』『道草』と晩年の作品を読んできて、どれもシリアス100%だったので、本作のユーモアな感じは新鮮だった。だいたい『吾輩は猫である』というタイトルからしてなんだかおかしい。それでも、やっぱり共通する雰囲気があると思った。
 最後の第11章で苦沙弥先生の家に友達がみんな集まり、人生とか世の中について喧々諤々の議論をする。場が大いに盛り上がったあと、みんなが帰ると、家は急に静かになる。

 短い秋の日はようやく暮れて、巻煙草の死骸しがいが算を乱す火鉢ひばちの中を見れば火はとくの昔に消えている。さすがのんきの連中も少しくきょうが尽きたとみえて、「だいぶおそくなった。もう帰ろうか」とまず独仙君が立ち上がる。つづいて「ぼくも帰る」と口々に玄関に出る。寄席よせがはねたあとのように座敷は寂しくなった。
 主人は夕飯ゆうはんをすまして書斎に入る。細君は肌寒はださむ襦袢じゅばんえりをかき合わせて、洗いざらしのふだん着を縫う。子供はまくらを並べて寝る。下女は湯に行った。
 のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。悟ったようでも独仙君の足はやはり地面のほかは踏まぬ。気楽かもしれないが迷亭君の世の中は絵にかいた世の中ではない。寒月君は珠磨たますりをやめてとうとうお国から奥さんを連れて来た。これが順当だ。しかし順当が長く続くとさだめし退屈だろう。東風君も今十年したら、むやみに新体詩をささげることの非を悟るだろう。三平君に至っては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定が難しい。生涯しょうがいシャンパンをごちそうして得意と思うことがあれば結構だ。

夏目漱石吾輩は猫である』改版,KADOKAWA,1962,p.512

 ここで言われる世の中のままならなさとか、人生の悲しさとかは、今後の作品にも共通しているように思う。そういえば『猫』と同じくユーモアが多い『坊ちゃん』も、痛快なお話の影で少し寂しく悲しい雰囲気があった。

 もっと具体的に今後の作品に繋がっていると感じたところもあった。例えば現代人は”探偵的”だという話がでてくる。

探偵は人の目をかすめて自分だけうまいことをしようという商売だから、勢い自覚心が強くならなくてはできん。泥棒もつかまるか、見つかるかという心配が念頭を離れることがないから、勢い自覚心が強くならざるをえない。今の人はどうしたらおのれの利になるか、損になるかと寝てもさめても考えつづけだから、勢い探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるをえない。二六時中キョトキョト、コソコソして墓に入るまで一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の咒詛じゅそだ。ばかばかしい

前掲書 p.484

 この探偵的になる現代人をメインテーマにしたのが『行人』だと思う。他にも、拝金主義への批判として、本作の実業家金田への態度と『道草』の島田への態度が重なるし、苦沙弥先生が学校の生徒にからかわれるところは、『坊ちゃん』の生徒のいたずらを思いだした。

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世の中が個人主義になってきているという話が出てくる。

あらゆる生存者がことごとく個性を主張しだして、だれを見ても君は君、ぼくはぼくだよと言わぬばかりのふうをするようになる。ふたりの人が途中で会えばうぬが人間なら、おれも人間だぞと心の中でけんかを買いながらゆき違う。それだけ個人が強くなった。個人が平等に強くなったから、個人が平等に弱くなったわけになる。人がおのれを害することができにくくなった点において、たしかに自分は強くなったのだが、めったに人の身の上に手出しがならなくなった点においては、明らかに昔より弱くなったんだろう。強くなるのはうれしいが、弱くなるのはだれでもありがたくないから、人から一毫いちごうも犯されまいと強い点をあくまで固守すると同時に、せめて半毛はんもうでも人を侵してやろうと、弱い所は無理にも広げたくなる。こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きているのが窮屈になる。できるだけ自分を張りつめて、はち切れるばかりにふくれ返って苦しがって生存している。

前掲書 p.496,497

 この辺り実感としてすごく分かるし、今後多様性が重要視されていくと、窮屈さも更に強力になっていくと思う。100年以上前の文章と思えない。漱石先生すごい。。


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猫君は可愛かった。
テレビの動物番組で猫にアテレコして「ごしゅじんたまぁ、ごはんおいしいでしゅ」みたいなのあるけど、「吾輩は・・・」という口調の方が猫の無表情な感じにあってると思うし、こっちの方が可愛いよ。
批判に容赦がなく毒舌なところも、人間が言ったら腹立つだろうけど、猫だからなんか許してしまう。人に厳しい一方で猫君自身もドジなとこがあって、餅を食べようとして嚙み切れず、二本足で猫踊りを踊るシーンは可哀そうで可愛かった。

それだけにラストシーンは悲しい。やっぱり陰のある話だ。

 

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