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夏目漱石 『行人』 感想

 

「兄さんに対して僕がこんな事をいうとはなはだ失礼かもしれませんがね。ひとの心なんて、いくら学問をしたって、研究をしたって、解りっこないだろうと僕は思うんです。兄さんは僕よりも偉い学者だからもとより其処に気が付いていらっしゃるでしょうけれども、いくら親しい親子だって兄弟だって、心と心はただ通じているような気持がするだけで、実際に向う此方とは身体が離れている通り心も離れているんだから仕様がないじゃありませんか」

ひとの心は外から研究は出来る。けれどもその心にって見る事は出来ない。その位の事なら己だって心得ている積だ」

 兄は吐き出すように、又ものうそうにこう云った。

 

夏目漱石著 『行人』 81刷改版,新潮社,1993,p.125

 

ほんとそう思う。自分の心と人の心の間には、決して越えられない次元の壁的なものがある。

一郎もそれを分かっているつもりなんだけど、どうしても納得することができない。だから、理性によってこの壁を越えようとする。実験とか観察とかそこからの演繹とかで、妻の心を知ろうとする。そして、やっぱり分からなくて、精神を参らせてしまう。

 

一郎は、妻が自分をどう思っているのか、死ぬほど気にしている。けど、一郎自身が妻をどう思ってるのかは、殆ど話題になってないように思えた。

「妻に愛されているのか本当のとこは分からないけど、少なくとも自分は妻を愛している」くらいで我慢しておくべきだと思った。

 

・・・

 

二郎と一郎の妻、直が一緒に宿に泊まるシーンは、大変にどきどきした。

 

兄の妻と二人で出かけるというだけでも危なげ雰囲気なのに、嵐で帰れないとか、宿が停電になるとか、まずいでしょ。

 

自分は電気燈の消えない前、自分の向うに坐っていた嫂の姿を、想像で適当の距離に描き出した。そうしてそれを便りに又「姉さん」と呼んだ。

「何よ」

彼女の答は何だか蒼蠅うるさそうであった

「居るんですか」

「居るわ貴方。人間ですもの。うそだと思うなら此処へ来て手でさわって御覧なさい」

 自分は手捜てさぐりに捜り寄って見たい気がした。けれどもそれ程の度胸がなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦れる音がした。

「姉さん何かしているんですか」と聞いた。

「ええ」

「何をしているんですか」と再び聞いた。

「先刻下女が浴衣を持って来たから、着替えようと思って、今帯を解いている所です」と嫂が答えた。

前掲書 p.158,159

 

いやいや、直さん、見えないからって目の前で着替えるの?あと、一瞬だけ電気が点いた時に、

 

自分は電気燈がぱっと明るくなった瞬間に嫂が、何時の間にか薄く化粧を施したというなまめかしい事実を見て取った。

p.160

 

え、どういうつもり?どうなっちゃうの?で、いよいよ布団を並べて寝て、その翌朝、

 

 二人はく寐なかったから、夢から覚めたという心地はしなかった。ただ床を離れるやいなや魔から覚めたという感じがした程、空はなまめく染められていた。

 自分は朝飯あさめしぜんに向いながら、ひさしを漏れる明らかな光を見て、急に気分の変化に心付いた。従って向い合っている嫂の姿が昨夕ゆうべの嫂とは全く異なるような心持もした。今朝見ると彼女の眼に何処どこといって浪漫ロマン的な光はしていなかった。

前掲書 p.166

 

能く寐なかったって、嵐だったからってことだよね??浪漫的って、寝る前の直さんの態度のことだよね??そのあとの話じゃないよね??二郎、お前はっきり言え!

 

と、興奮してしまった。

 

・・・

 

全体をとおして、描写が本当にいいなあと思った。心理描写も風景描写も、凄く好きだ。

 

漱石もっと読みます。

 

mura-sou.hatenablog.com