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夏目漱石『道草』感想

島田の態度がだんだんデカくなって、しまいには金を貸すのが当然だ、貸さない方がおかしい、みたいになるのは読んでて腹が立った。健三はそんな島田に会うのが嫌でたまらないのに何回も会ってしまう。そして、最終的に金を渡す。

 

島田を見捨てきれないのは、健三には自身も気づいていない深いところで、島田への愛情があるからだと思った。健三は島田との関連で幼い頃の事を思い出す。おもちゃを買ってもらったり、洋服を作ってもらったり、遊びに連れて行ってもらった記憶が鮮やかに蘇る。そして、その頃の島田への気持ちについて次のように書かれる。

 

「こんな光景をよく覚えている癖に、何故なぜ自分の有っていたその頃の心が思い出せないのだろう」

 これが健三にとって大きな疑問になった。実際彼は幼少の時分これ程世話になった人に対する当時のわが心持というものをまるで忘れてしまった。

「然しそんな事忘れる筈がないんだから、ことによると始めからその人に対してだけは、恩義相応の情愛じょうあいが欠けていたのかも知れない」

 健三はこうも考えた。のみならず多分この方だろうと自分を解釈した。

夏目漱石 『道草』 改版,新潮社,2011,p.49

 

「多分この方だろうと自分を解釈した」という書き方が、実はそうでないことを示しているように思う。

 

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しかしながら、全体的に世知辛い話だ。世間を生きることは大変で、その原因は金と人間関係だ、ということを延々と見せ付けられる。

人生には良いことだってたくさんあると思うけど、そのようなポジティブな面は省かれている。子供が誕生する場面ですら喜びの感情は描写されない。

登場人物たちの関係性も、愛憎入り混じっていて複雑だ。現実世界の人間関係もそうだから、リアルだとも思う。

 

過去に起ったことはそう簡単にケリがつかない、というのが一つのテーマだけど、この辺りは実感として分かる。生きてると、ケリのつかないことがどんどん背中の上に溜まってきて、だんだん身動きが取れなくなっている気がする。悲しいです。

 

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解説によると本作は漱石先生の30代後半の頃の生活を素材にしているとのこと。それで、同じ時期を素材にしていて、内容が対照的なのが『吾輩は猫である』で、両作は表裏一体の関係にあるらしい。

ということで、次は『吾輩は猫である』を読もうかな。や、でも『彼岸過迄』にして、まずは後期三部作を読了しようか。少し迷う

 

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