書きたいことを書きたいだけ

書きたいことを書きたいだけ書くブログ

夏目漱石『彼岸過迄』の感想

 

 前半は謎が物語を引っ張る。額にほくろのある正体不明の男を調査するなんて、まるっきり探偵小説のノリだ。蛇の頭が彫られたステッキとか、文銭占いでの奇妙なお告げとか、怪しげな小道具も雰囲気を盛りあげる。先がどうなるのか気になって読み進めた。

 後半「須永の話」からジャンルが変わったように感じた。ここからは須永と千代子、二人の心がテーマになる。理性の人須永と感情の人千代子は、お互い惹かれながらも一緒になることができない。その苦しさが書かれている。

 

* * *

 

彼岸過迄について」という漱石の前書きの中に、次のような記述がある。

かねてから自分は個々の短篇たんぺんを重ねた末に、その個々の短篇が相合あいがつして一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持していた。

夏目漱石彼岸過迄』新潮社,2010,pp.7-8

この記述のとおり、主人公敬太郎が世間の色々な人や出来事を見聞きするという、連作短編っぽい小説となっていた。柄谷行人の解説で本作は『吾輩は猫である』を書いた出発点への回帰でもあり、両作の構成の共通点が指摘されていたけど、確かに似てると思った。

 

* * *

 

本作で『彼岸過迄』『行人』『こころ』の後期三部作を読み終えた。

手元の国語便覧に後期三部作はエゴイズムの追及がテーマだと載っている。『行人』『こころ』はまさにそのとおりだと思う。だけど本作の段階では、エゴイズムはそこまで明確なメインテーマではないのではないかと感じた。もちろん重きが置かれていることは確かだけど、当時の世間の色々な生き方や悩み方の一例として書かれている。

 

そもそも”エゴイズム”って何なんだ。どうして夏目漱石はそれをテーマにしたんだろうか。後期三部作全体についての感想も書きたい。

 

mura-sou.hatenablog.com