「本当の戦争の話」とは”無意味”である
そう思った。
この「無意味」とは「空虚」というニュアンスではない。
逆に、あらゆる意味の混淆、意味の闇鍋状態による、無意味さなのだ。
絵具をごちゃごちゃに混ぜた後のヘドロのような色、そんな無意味さである。
ミッチェル・サンダーズは正しかった。少なくとも一般的な兵隊にとって、戦争は決して晴れることのない深く不気味な灰色の霧の如きものである。彼らはそれを精神的な感触として知る。そこには明確なものは何ひとつとしてないのだ。何もかもがぐるぐると渦を巻いて見える。旧来の規則はもうその効力を失っている。旧来の真理はもはや真理ではない。誤ったものの中に正しきものがどくどくと注ぎこまれている。カオスの中に秩序が混ざりこんでいる。憎しみの中に愛が、美の中に醜さが、アナーキーの中に法が、野蛮の中に文明が。霧は君をすっぽりと吞み込んでしまう。自分が何処にいるのか、何故そこにいるのか、君にはわからない。ただひとつはっきりとわかるのは、どこまで行っても解かれることのないその二重性だけだ。
ティム・オブライエン著,村上春樹訳『本当の戦争の話をしよう,本当の戦争の話をしよう』 文藝春秋,1998,p.135
一つ一つの短編を読み終わったあと何だか呆然としてしまうのは、この無意味さのためだと思った。
「本当でない戦争の話」とは”救済”である
本書の最後に収められた短編「死者の生命」は次の一節からはじまる。
しかしこれもまた真実である―
お話 は我々を救済することができるのだ。ティム・オブライエン著,村上春樹訳『本当の戦争の話をしよう,死者の生命』 文藝春秋,1998,p.361
「
人が経験を物語る時、そこに意味を創出せずにはいられない。だから戦争について語ると、そこでの徹底的に無意味な経験にすら意味を見出そうとしてしまう。すると「本当の戦争の話」ではなくなってしまう。
だけど、意味を創出された「本当でない戦争の話」にこそ救済はあるのだ。ティム・オブライエンは救済のためにこの話を書いたのだと思う。死んでいった人々と、自分自身を救い出すために。