以前、丸山真男『日本の思想』の表題作の要約っぽいものを書いた。
今回、↓この本を読んだので、前よく分からなかった「近代日本の思想と文学」のメモを書きます。
1.政治は、論理的=科学的 かつ 非論理的=文学的である
政治は、次の2つの面を持っている。
・論理的な面
・非論理的な面
政治の論理的な面とは、制度や機構といった部分。これらは政治に不可欠だが、この面だけで政治は成り立っていない。非論理的な面も持っている。何故か。
2つ理由がある。1つ目は、政治が対象としているのは人間で、人間は感情を持ち、論理だけでは動かないから。2つ目は、無限に種類がある現実を、完全に捉える論理は作れないから。
丸山は、
・論理的な面=科学的
・非論理的な面=文学的
とも表現している。
2.昭和の初め、政治が文学を飲み込んだ
昭和初期、2度、政治が文学を支配下に置いた。
本題に入る前に、そのころの知識人が政治をどう捉えていたかについて。
大正時代、日本にマルクス主義が入ってきた。この影響により、当時の知識人は、政治=論理的=科学100%であると捉えていた。
これを前提に。。。
1回目 プロレタリア文学(昭和3年~昭和9年)
科学100%の政治が、科学100%の文学を求めた。それがプロレタリア文学だった。
プロレタリア作家たちは、求められた科学100%の文学と、そうではない現実とのギャップに苦しみ、最終的に転向や組織の解体に至った。
これにより、政治よる文学の支配は一旦解消される。
ところで、この時、プロレタリア文学を批判した文学者たちがいた。(以下、芸術的モダニズム派と呼ぶ)この人たちは、政治が文学の優位に立つことに反発していた。
そして、「科学100%=論理的な政治」から自律するために、文学は「文学100%=非論理的な文学」であるべきという立場をとった。
しかし、このことが裏目に出て、2回目の政治による文学支配が起こってしまう。
2回目 日中戦争から太平洋戦争期(昭和12年~昭和20年)
最初に述べたように、政治は、論理的=科学的100%ではない。論理的な面と、非論理的=文学的な面の両面を持つ。
日中戦争の勃発という非常事態の発生は、政治をより非論理的=文学的にしていった。
芸術的モダニズム派は、科学100%の政治から自律するため、文学100%であろうとしていた。このため、文学的になった政治には対抗することができず、取り込まれてしまった。国体の醸成に利用されてしまった。
3.将来に向けて
当時の文学者は、科学100%の政治への対抗姿勢をとることにより、科学的なもの自体へも対抗してしまった。
また科学者側でも、法則を絶対視する立場から、文学との連携の道を閉ざした。
このため、文学者ー科学者間の相互理解が進まず、両者とも政治に利用される結果となった。
科学=論理と、文学=非論理には、連系の道がある。
科学の営みの中には、イマジネーションの発露による創造の過程があり、これは非論理的なものである。また、文学にも、論理的な仮説思考が必要である。
今日、政治の力がますます強くなってきている。
様々なバックグラウンドを持つ人々が、それぞれ違っていることを前提としつつ、その根底にある知性の自由と普遍性を擁護する道を探すことが必要である。