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竜王の誘惑とRPGリテラシー FC『ドラゴンクエスト』感想

ネタバレあります!

 

ドラゴンクエスト

ドラゴンクエスト

  • 発売日: 1986/05/27
  • メディア: Video Game
 

  

ファミコンの初代『ドラゴンクエスト』をクリアした。

面白くて、はまってしまった。

 

が、面白さと別のことも考えたので書く。

竜王からの誘惑と、RPGリテラシーについて。 

 

 

「世界の半分をやろう」

 

最終決戦の前、竜王が「自分の仲間になれば、世界の半分をやる」と勇者を誘い、

プレーヤーが「はい/いいえ」を選ばされるという有名なシーンがある。

そのイベントは知っていたし、なかなか面白い演出だなあとは思ってたんだけど、

自分でプレイすると印象が全然違った。

 

なぜなら、自分にそれだけの力があると、自覚しているからだ。

 

初代ドラクエは、主人公の勇者の一人旅だ。

最初はスライムにすら苦戦するひ弱さだが、レベルをあげるとどんどん強くなる。

手強かった”しのさそり”や”だいまどう”を、経験値のために自分から狩りに行くようになる。

 

そして、伝説のロトの装備を手にし、強さは最高潮に達する。

この世界では、竜王を除いて、誰も勇者に逆らえなくなるのだ。

だからこそ、竜王の質問はリアリティのある誘いだった。

 

凄く印象に残ったので、その意味について考えた。

そしたら、この誘いは、RPGリテラシーと関係してるんじゃないかなあと、思い至った次第であります。

 

 

竜王の質問は、勇者とプレーヤーを分離する

 

ドラクエの勇者は言葉を発しないし、感情や思想を表さない。

なぜなら、プレーヤー自身が勇者で、プレーヤーの思うことが、勇者の思うことだからだ。

 

ところで、例の質問には、正解と間違いがある。

もちろん竜王の誘いに「いいえ」と応えるのが正解で、その後最終決戦となる。

では、「はい」と応えるとどうなるか。その時点でゲームオーバーだ。

 

つまり、このイベントは、プレーヤーの自由な意志を許さない。

これまで、勇者とプレーヤーは一心同体であったが、ここで二者の心が分離する。

プレーヤーの意志とは関係なく、勇者は必ず「いいえ」と応えるのだ。

 

 

一心同体から、二心同体、そして二心別体に

 

質問により、勇者とプレーヤーの心が分離する。

だが、まだ体は一つであり、いわば二心同体の状態だ。

竜王との最終決戦は、プレーヤーが勇者を操作して戦う。

 

完全な分離は、ゲームのエンディング直前で生じる。

 

竜王を倒した後、勇者は王に謁見する。

王は、勇者をたたえ、自分の代わりに国を治めてくれと言う。

すると勇者は、プレーヤーの意志とは関係なく、次のように返す。

 

「いいえ。わたしの おさめる くにが あるなら それは わたしじしんで さがしたいのです」

 

この瞬間、勇者とプレーヤーは、完全に分離する。

 

主人公との別れと、RPGリテラシー 

 

ドラクエは、初めてRPGを遊ぶプレーヤーを十分意識していて、プレイしながらRPGリテラシーを習得できるように作られている。

狭い王の部屋からゲームが始まり、そこを出るころには操作を覚えられる、という話はよく語られる。

 

だけど、RPGの操作だけじゃなくて、プレイする態度についてのリテラシーもあるんじゃないかと思う。

そして、それは「RPGの世界に、永遠に居てはいけない」ということだと思うのだ。

 

RPGの世界は楽しく、胸が躍る。だけど、いつまでもその世界に浸っていてはいけないのだ。

竜王の質問からエンディングまで、プレーヤーと勇者が徐々に別れていく演出は、このリテラシーを体現するものじゃないかな、と思った。

 

プレーヤー=勇者は、苦楽をともにし、成長し、世界に平和をもたらした後、分離する。

勇者は新たな旅へと向かう。

では、プレーヤーは何処に向かうのか。

ゲームの世界の思い出とともに、ファミコンのスイッチをオフにして、現実世界へと向かうのだ。

 

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