ネタバレあります!
面白くて、はまってしまった。
が、面白さと別のことも考えたので書く。
「世界の半分をやろう」
最終決戦の前、竜王が「自分の仲間になれば、世界の半分をやる」と勇者を誘い、
プレーヤーが「はい/いいえ」を選ばされるという有名なシーンがある。
そのイベントは知っていたし、なかなか面白い演出だなあとは思ってたんだけど、
自分でプレイすると印象が全然違った。
なぜなら、自分にそれだけの力があると、自覚しているからだ。
初代ドラクエは、主人公の勇者の一人旅だ。
最初はスライムにすら苦戦するひ弱さだが、レベルをあげるとどんどん強くなる。
手強かった”しのさそり”や”だいまどう”を、経験値のために自分から狩りに行くようになる。
そして、伝説のロトの装備を手にし、強さは最高潮に達する。
この世界では、竜王を除いて、誰も勇者に逆らえなくなるのだ。
だからこそ、竜王の質問はリアリティのある誘いだった。
凄く印象に残ったので、その意味について考えた。
そしたら、この誘いは、RPGのリテラシーと関係してるんじゃないかなあと、思い至った次第であります。
竜王の質問は、勇者とプレーヤーを分離する
ドラクエの勇者は言葉を発しないし、感情や思想を表さない。
なぜなら、プレーヤー自身が勇者で、プレーヤーの思うことが、勇者の思うことだからだ。
ところで、例の質問には、正解と間違いがある。
もちろん竜王の誘いに「いいえ」と応えるのが正解で、その後最終決戦となる。
では、「はい」と応えるとどうなるか。その時点でゲームオーバーだ。
つまり、このイベントは、プレーヤーの自由な意志を許さない。
これまで、勇者とプレーヤーは一心同体であったが、ここで二者の心が分離する。
プレーヤーの意志とは関係なく、勇者は必ず「いいえ」と応えるのだ。
一心同体から、二心同体、そして二心別体に
質問により、勇者とプレーヤーの心が分離する。
だが、まだ体は一つであり、いわば二心同体の状態だ。
竜王との最終決戦は、プレーヤーが勇者を操作して戦う。
完全な分離は、ゲームのエンディング直前で生じる。
竜王を倒した後、勇者は王に謁見する。
王は、勇者をたたえ、自分の代わりに国を治めてくれと言う。
すると勇者は、プレーヤーの意志とは関係なく、次のように返す。
「いいえ。わたしの おさめる くにが あるなら それは わたしじしんで さがしたいのです」
この瞬間、勇者とプレーヤーは、完全に分離する。
主人公との別れと、RPGのリテラシー
ドラクエは、初めてRPGを遊ぶプレーヤーを十分意識していて、プレイしながらRPGのリテラシーを習得できるように作られている。
狭い王の部屋からゲームが始まり、そこを出るころには操作を覚えられる、という話はよく語られる。
だけど、RPGの操作だけじゃなくて、プレイする態度についてのリテラシーもあるんじゃないかと思う。
そして、それは「RPGの世界に、永遠に居てはいけない」ということだと思うのだ。
RPGの世界は楽しく、胸が躍る。だけど、いつまでもその世界に浸っていてはいけないのだ。
竜王の質問からエンディングまで、プレーヤーと勇者が徐々に別れていく演出は、このリテラシーを体現するものじゃないかな、と思った。
プレーヤー=勇者は、苦楽をともにし、成長し、世界に平和をもたらした後、分離する。
勇者は新たな旅へと向かう。
では、プレーヤーは何処に向かうのか。
ゲームの世界の思い出とともに、ファミコンのスイッチをオフにして、現実世界へと向かうのだ。