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アニメ映画「銀河鉄道の夜」感想 カムパネルラの行先とかを考える。

 

今週のお題「最近見た映画」

 

!ネタバレあります!

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大好きで何度も見ている。神秘的な映画だ。

書きたいことが沢山ある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公のジョバンニが、親友カムパネルラの死出の旅路に同行する話だ。

二人は、幻想第四次に存在する銀河鉄道に乗り、天の河に沿って天を北から南へ旅する。

 

謎めいていることが多いが、自分が一番不思議に思っていることは、カムパネルラの行先はどこで、何故そこなのかということ。

 

この物語のテーマに”自己犠牲”があり、3つの自己犠牲のエピソードが出てくる。

1つ目は、小さな子供や体の弱い人を優先し、自分たちは死んでしまったタイタニック号の乗客3人。

2つ目は、自分の体をイタチに食べさせればよかったと後悔する、サソリの話。

最後はもちろん、友人を助けるかわりに、自らの命を失ったカムパネルラだ。

 

タイタニック号の乗客は、サザンクロスで下車し天上世界へ向かう。サソリも天に昇り星となった。

自己犠牲は貴く、最後には救われる。

 

この流れでいけば、カムパネルラももちろん天国に行けて当然と思う。

だけど彼は、石炭袋という、ブラックホールのような寂しく恐ろしげなところで汽車から降りた。

 

これはどうしてなんだろう、カムパネルラが可哀そうじゃあないか。

ということで、自分なりに考えてみた。

 

 

・・・

 

 

そもそも、この銀河鉄道の旅の目的は何だったのか。

自分は、カムパネルラが自身の死を受け入れること、だったんじゃないかと思った。

物語の主役はジョバンニだ。けど、この旅の主役はカムパネルラで、目的はあるけど、目的地はない旅なのだ。

行先については次のような会話もある。

 

ジョバンニ

「けれども僕たち、どこへ行くんだろう」

カムパネルラ

「僕、分からない」

 

そして、旅の目的は、石炭袋で達せられる。

恐ろしげな光景にカムパネルラは震える。

ジョバンニは、

「大丈夫だよ。僕にはもうあんな闇の中だって怖くない」

「僕たち、一緒に進んで行こう」

と言う。

カムパネルラは

「ああ、きっと行くよ」

と答える。

 

答えてすぐ後に、カムパネルラは汽車を降りる。

言葉と行動が逆じゃないかと最初思ったけど、そうじゃない。

どこに行っても、ジョバンニが一緒にいてくれると分かったからこそ、汽車を降りることができたんじゃないか。

 

上の会話の後、カムパネルラは、石炭袋の光景を見て、

「あそこの野原はなんて綺麗なんだろう」

「あそこが、本当の天上なんだ」

「あ、あそこにいるのが僕のお母さんだよ」

と、言う。

死を受け入れれば、石炭袋も他の停車場も、ひとしく美しい天上の世界なのだろう。

 

やはり、カムパネルラの天国に行ったのだ。

降りる場所はどこでもよかった。ただ、ジョバンニの言葉で決心が着いた場所が、石炭袋だったのだ、と思う。

 

 

・・・

 

 

銀河鉄道の旅は、ジョバンニの身に本当に起こったことなのだろうか。

自分は、本当の旅だったと思っている。

(ファンタジー映画だし)

 

ジョバンニは街で盲目の老人とすれ違うが、その老人は銀河鉄道の乗員でもある。これは、三次空間と幻想第四次の境が徐々に曖昧になっているのだと思った。

そして、星まつりの夜、ついに境が壊れ、ジョバンニは旅に出た。

 

と、思って見てたんだけど、「全くジョバンニの夢」とも解釈できる。

日中に体験したことが、夢に出てくることはよくある。

銀河鉄道の旅には、ジョバンニが現実世界で見知ったものが沢山現れる。

盲目の老人、学校で習った銀河の話、カンパネルラの家の蒸気機関車の模型、町の広場。

ジョバンニの記憶にあるものが夢に出現したと考えることもできる。

 

結局、どちらの証拠もなく、判断は見た人次第だ。

でも、やっぱり、実際にあったと思いたいよなあ。

 

 

・・・

 

 

猫のキャラクターで、表情があまりない。

きょとんとしていて、喜怒哀楽の起伏が小さい。

そこが、想像の余地があってよい。

 

細野晴臣のテーマ曲も好きだ。

蒸気機関車のシュッシュッという音を思い起こさせる、不思議な異国の曲といった感じ。

 

夜中にひっそりと見たい映画です。

 

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