諸行無常が身に染みる。『平家物語』の感想
諸行無常、盛者必衰。
この平家物語を読みました。
数年前、書店で見かけて、凄ーく読みたいと思った本。
そう思った理由は2つ。
1つめは、同じ日本文学全集の第1巻『古事記』を読んでいたこと。
古典は難しくて自分には無理だと思っていたけど、池澤夏樹の新訳は驚くほど読みやすく、物語を堪能できた。
それ以来、このシリーズに信頼をおいていた。
もう1つは、訳者が古川日出男だったこと。
古川の『アラビアの夜の種族』は、これまで読んできた本の中でオールタイムベスト10に入っている。
また彼の文体は、もともと語りの雰囲気がある。琵琶法師によって語られた平家物語の訳者として、ぴったりの人選だと思った。
直ぐ読まなかった理由は1つで、だいぶボリュームがあったこと。約900ページある。今回、時間ができたため、一気に読むことができた。
感想として、面白くて、夢中で読んだ。想像通り、古川日出男の文体が良い。
テーマは諸行無常、盛者必衰で、平家一門の没落が描かれる。
この辺はさすがに知識として知っていた。けど、実際に読むと、「諸行無常」の4文字から受ける印象が変わる。
栄華を誇っていた沢山の人々が、あっという間に没落していき、流され、殺され、死んでいく。その人たちへの同情に、心が動く。
「全てのものは移り変わる」という辞書の理解から、それによる悲しさ、虚しさを実感するようになった。
物語の語り口も、おごっているときは批判的だが、落ちぶれ行くときには同情的な語りとなる。
神のごとく、超然とはしていない。
平宗盛(むねもり)の最期が心に残った。
平家全盛期の棟梁、平清盛の三男が、宗盛だ。
長男の重盛は人徳者として描かれるが、宗盛についてはその反対で、権力に溺れた傍若無人なふるまいが語られる。
清盛も重盛も死んだ後、宗盛が平家の棟梁となる。
しかし、時勢はすでに源氏にあり、平家はどんどん没落し、壇ノ浦の決戦で最期を迎える。
一族の多くの者が死んだ後、捕らえられた宗盛は、息子と共に斬られることになる。
息子のことを心配する宗盛に、付き添いの僧が、あれこれ考えるべきではない、雑念を捨てて往生することだけを考えなさいと、説く。
そして、次のようになる。
大臣殿は、これは本当にすばらしい仏道へのお導きだとお思いになる。執着にとらわれていた迷いの心をたちどころに翻して、西に向かい、手を合わせられる。
声高く念仏をお唱えになる。
南無阿弥陀仏と。
一人の武士が、大臣の背後に立つ。
橘右馬の允公長が、太刀を抜き身にし、わきに引きよせて隠しつつ、左のほうからー左の方からー大臣殿のお後ろにまわる。もう、立ちまわっている。立った。そしてー今、斬るー斬りたてまつろうとする。
念仏が止む。
大臣殿が言われる。「右衛門の督も、すでにか」
すでに斬られたのか、と問われた。哀れにも。
公長がもっと後ろに寄ったかと思うと首は前に落ちている。
大臣殿のその首は。
最後の瞬間、息子の事を気にかけ、その刹那に斬られてしまう。
宗盛の人間としての弱さに共感する。
もちろん、諸行無常だけでなく、エンターテインメントとして純粋に面白い。
13世紀前半の成立とのことだが、伊達に800年間生き残っていないと思った。
怪しげな妖怪話も沢山あるし、合戦の描写は迫力満点だ。
気になったのは後白河法王。この人、色々な勢力に目まぐるしく鞍替えして、結局最後まで生き残る。本心が分からない。得体が知れない。
なんか、ハンターハンターのパリストンを思い出した。
古典も色々読んで行こう。